いつの時代からか、学習塾はもはや必須のような流れになっていますよね。
学習塾に行く事が悪いとか、無駄だとかいう意味はこれっぽっちもありません。
しかし、そもそも何故学習塾に行かせる必要があるのか深く深く考えた事がある方はどれくらい居るのでしょうか?
私なりの結論としては「深い目的があるのであればそれは非常に有意義」だと思ってます。
では「深い目的とはいったいなんだ」という所からお話したいと思います。
この答えを出すのに、話は昭和にさかのぼります。
戦後の昭和では、経済発展と共に沢山の人が必要でした。
それには大きく分けて2パターンあり、
①モノ作りのプレイヤー側(現場・工場など)に立つ人
②モノ作りのブレーン側(開発業務)に立つ人
です。
当然、必要な比率としては①>>②という性質のため、とにかく国は総力を挙げて①の人材を作り出さねばなりません。
それ故、義務教育では卒業してからそれらの仕事がテキパキこなせるよう、「覚える練習」を前提とした、今の詰め込み・マニュアル型教育が導入されました。
また当時の情報収集は当然紙ベースの媒体がメインで、時には昔の書物などを読み解いて情報を得る必要がありました。
当然今のような翻訳ソフトなんて存在しません。それ故、この時代においては古文や漢文などを読めるスキルは重要でした。
また、②の開発業務に携わる人間は当然高い知識が必要で、給料も断然違いました。
企業側も開発競争を生き延びるため、その中でも少しでも学が高い人間を必要としていました。
昭和の時代はさまざまな事情で大学に進学できる人は限られており、大卒はかなり貴重な人材でした。
これが学歴社会の始まりです。
また高度経済成長期では会社はどんどん成長し、給料はどんどん上がり、当然のごとく終身雇用・年功序列が当たり前の時代でした。
つまり昭和~平成初期においては「学位やブランドさえ取ってしまえば生涯安泰」という時代でした。
単純な表現をすると、学力は生涯賃金に完全に比例、という事です。
そうなると当然人々は、『とにかく少しでもいい大学を出て待遇のいい会社に入り、いいお給料を生涯もらい続ける』という夢を必死に追うようにになりました。
学力戦争では少しでも点数を上げて周りを引き離すため、学校とは別に塾にも通うようになりました。これが昭和時代のお話です。
ここで少しおさらいですが、
目的は「いい会社で終身雇用でいいお給料をもらいつづけるため」
その手段としては「少しでもいい大学を出る、周りから1歩でも抜けるために学習塾にも通う」
です。
さて、ここから時代を一気に令和に戻します。
令和の今、大企業でも平気で潰れる時代になりました。
また、大卒という人材は有り溢れて貴重でも何でもありません。
更に、終身雇用や年功序列のシステムはどんどん消えており、学力神話は崩れて実力主義社会に切り替わっています。
それ故、一流企業で東大院卒だったとしても、高卒に成果が抜かれれば給料も逆転する、という事象が既に発生しています。
またこのような時代に、あえて高い給料を払わないといけない高学歴を取る、という企業もどんどん減ってきており、どちらかといえば学力問わず即戦力になる人材を募集している所が目立つように感じます。
さらに現代では中卒でも高卒でも好条件の仕事は沢山溢れています。
現に中卒の人が今から初めて1ヶ月で月給50万円なんて仕事も実在しますし、今からでも誰でもできます。
(それを嗅ぎ取れる知識や能力を身につけるほうが今は重要だと思います。)
もうお分かりかもしれませんが、現代はお金(生涯賃金)に対してここまで学力・学位の価値は下がってきており、企業も「学位や大学のブランドよりも中身重視」という所が企業の大小問わず圧倒的に増えています。
そんな中とても高額な授業料を払って「1つでもランクの高い大学に」というつもりで塾に通わせている、という親御さんは少し肩の力を抜いてもいいかと思います。
実は塾長も小学校から高校までイヤイヤ塾に行かされていましたが、いかんせん興味がなく身が入らなかったため、お金をかけてもらった割に効果が出た覚えがありません。
注意すべきは「いい大学に入れる事自体が目的」になってしまっていませんか?という事です。
(それ以外の明確な理由や目的があるのであれば、お子さんの為にもぜひ継続してあげてください。)
よろしければこちらもご参考にどうぞ。
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