昭和ではそろばん、今ではプログラミングのように、時代の進歩と共に必要な勉強は本来は変わっていくものです。
しかしどうでしょう、令和となった今でも学校では大人になって使いもしない古文漢文などの授業を未だに行っています。
「それは一般教養だから」と言う方たちがいますが、果たして義務教育やテストにまで入れて優先すべき内容でしょうか?
100歩譲って一般教養や将来の興味付けのため、というならならまだしも、脳の記憶容量を潰してまで覚え嫌々テストまでする必要はあるのでしょうか?
これらは勉強の本質から外れている気がしてなりませんし、記憶力の練習というのであれば、もっと必要な事を覚えさせた方が圧倒的に有益です。
多様化によりただでさえ学校のカリキュラムが逼迫している今、たとえば英語やお金の勉強、プログラミングなどにもっともっと時間を割いた方がよっぽどいいのではないでしょうか?
また、勉学というのは大人になってからでもできます。少なくとも義務教育の段階では本当に必要な事を優先的に教えるべきでは?と思ってしまいます。
そういった常識を疑うと、実は色々な物が見えてきます。
まず1番の問題は、やはり国の政策や初動が遅すぎることです。
未だに古文漢文を必修カリキュラムに入れている一方で、現代ではほぼ必須とも言われるお金の勉強やプログラミングの授業は先進国の中では圧倒的に遅れています。
金融リテラシーにおいては残念な事に日本は先進国で最下位で、今でも政府は投資を煽るだけで教育が行われる事なく、銀行などの営業に言われるがままお金を入れ、結果大損をしたり搾取されたりするばかりで、完全にカモにされています。
文科省のお偉いさん方にはさっさと昭和の教育内容を見直し、先進国に見合った教育改革をして欲しいものです。
・・・とまあお上の愚痴を言った所で仕方がないので、福沢ゼミナールがその役目を担います。
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